日本では、市街地から山地まで広く生息し、身近な野鳥の一つである「ヒヨドリ」。以前は越冬のため韓国などから渡ってくる「冬鳥」でしたが、次第に環境順化し、いつの間にか一年中国内に留まる「留鳥」へと変わってきました。しかし、ヒヨドリは、季節によって繁殖場所の山地と越冬場所の平地を移動し、北海道で繁殖したヒヨドリたちのほとんどは、10月頃になると越冬のため本州以南に移動します。
ヒヨドリの餌は、夏は繁殖期でもあるので昆虫類が主ですが、冬は木の実などが中心となります。また、糖分を好むためか、ツバキやサクラなどの花の蜜を吸ったり、ミカンやリンゴなどの果物を好んで食べます。食欲旺盛なため、木の実を次々にくわえて丸飲みしては種子が未消化のまま排泄されることも多く、種子を遠方へ運ぶ鳥としても有名です。
体長は約28㎝。全身が灰色の羽毛に覆われていますが、頬に褐色の部分があるのが特徴です。「ピーヨ!ピーヨ!」と大きな声でよく鳴くことから「ヒヨドリ」の名が付いたとされています。また、日本や韓国南部ではごく普通に見られる鳥ですが、ヨーロッパや南北アメリカ大陸、アフリカ、オーストラリアには生息していないため、世界的には「珍しい鳥」として知られています。
源義経の鵯越(ひよどりごえ)の逆落し
平安時代末期の寿永3(1184)年、平家討伐を源頼朝に命じられた義経と範頼は、平氏を挟み撃ちにするため二手に分かれた。義経の軍勢は「鵯越(ひよどりごえ)」と呼ばれる絶壁(現神戸市兵庫区)の上から、「この崖を鹿が下ったというなら、馬でも下れるであろう」と、合図とともに馬ごと駆け下り、崖下の平氏の陣へ一気に攻め入った。不意をつかれた平氏は海になだれ込み、船で瀬戸内海を渡って屋島へ逃げた。
これは、源平合戦「一の谷の合戦」の名場面です。ここに出てくる「鵯越」という地名は、海を渡ってきたヒヨドリが、絶壁をなす急斜面を一気に昇っていくさまを見て付けられたと伝えられています。
ヒヨドリ
写真提供:(財)日本野鳥の会 岩崎 和男 様