江戸時代承応2年(1653年)に完成した玉川上水。まだ当時の面影を残すかのように、玉川上水周辺には雑木林が生い茂り、あちらこちらから野鳥のさえずりがこだまします。福生市内の新堀橋から望む玉川上水は、水彩画のごとく美しく、その流れに沿って玉川上水旧堀跡が続きます。
太平洋戦争の戦火が日に日に激しさを増していた昭和19年、この旧堀跡付近の雑木林の一角で「野鳥村」の建設が計画されていました。この計画を進めていたのは、歌人・詩人で野鳥研究家である中西悟堂氏(1895~1984)。当時の人々は、野鳥といえば飼い鳥として籠の中で鳴き声や姿を楽しむか、食肉としての対象でしたが、中西悟堂氏は、「野の鳥をありのままに、生きざまを見て、姿や声を愛でる」という精神のもと、「野鳥」という表現を生み出し、昭和9年に「日本野鳥の会」を創立。初代会長として野鳥保護のみならず、自然保護に尽力されました。また、中西悟堂氏は、文人としての評価も高く、日本詩人クラブの初代会長も勤めるなど、単なる野鳥研究家に留まらず、詩人としてありのままの自然を表現するという想いも深かったのです。
戦時下におかれた日本で、野鳥の会機関紙「野鳥」が資金難、用紙の配給停止により廃刊をやむなくされるなか、福生の地に「日本野鳥の会」の本部、研究所、そして国内最初のサンクチュアリ(野生鳥獣生息地の保全地域)を建設しようと夢見た中西悟堂氏の計画は、建設請負人に資金を持ち逃げされるという結末により夢と消えてしまいましたが、いまでも「野鳥の父」として中西悟堂氏の精神は、多くの人々の共感を得、受け継がれているのです。
新堀橋から玉川上水を望む野鳥のさえずりに耳を傾けながら、散歩してみてはいかがですか
夢の「野鳥村」建設予定地付近遊歩道に野鳥の巣箱が設置されている