「日本野鳥の会」を設立し、野鳥保護のみならず自然保護の思想の育成、そして文学者としても大きな業績を残した中西悟堂氏が、野鳥の会本部、研究所、そして国内最初のサンクチュアリ(野生鳥獣生息地の保全地域)の建設を計画した地は、現在の「福生加美上水公園」内にあります。ケヤキやクヌギ、ナラなど自然のまま残された雑木林の中を玉川上水が流れ、今も豊かな緑と水を求めて野鳥や昆虫たちが集まります。
昭和20年3月の東京大空襲の後、中西悟堂氏は、一時山形へ疎開しますが、終戦直後に再び西多摩の地に戻ります。東秋留村二宮(現あきる野市二宮)を拠点に、多摩川や秋川、奥多摩、秩父の山々での探索調査、研究を続けた中西悟堂氏は、戦争で活動を停止していた野鳥の会の復活及び野鳥の会機関紙「野鳥」の復刊に奔走しました。そして、これらの地道な活動が、戦後の復興とともに野鳥の会を通じ全国的な自然保護活動へと発展していったのです。中西悟堂氏は二宮在住時代に、地元の東秋留小学校の校歌を作詞しており、現在も歌い継がれています。
当時の福生永田橋付近(昭和初期)
写真でたどる福生の百年(福生市郷土資料室)より