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多摩川遊歩記

第13話 裏宿七兵衛と青梅宿 ≪アートの街「青梅宿」≫

 江戸時代中頃、青梅の裏宿に「七兵衛」という百姓がいました。昼間は普通に百姓をしていましたが、夜になると盗賊に変身。遠方の金持ちから財宝を奪い、貧しい人々に分け与えたという伝説が残されています。七兵衛は何しろ足が速く、遠くで盗みを働いた後、翌朝までに十数里(40㎞以上)も走ったと伝えられています。

 しかし、元文4 (1739)年、ついに捕らえられた七兵衛は処刑され、さらし首になってしまいました。それから少し経ったある暴風雨の夜、その首が沢を流れて宗建寺近くに着き、それを哀れんだ住職に手厚く葬られたそうです。処刑後も「裏宿七兵衛」は庶民のヒーローとして人々の記憶から消えることはありませんでした。彼の名は、中里介山の小説『大菩薩峠』にも登場しています。

 現在、青梅の街を歩くと「七兵衛」と言う名前にたびたび出会います。JR青梅駅前からは西に向かって「七兵衛街道」が続き、10分程歩くと、七兵衛出生の地である裏宿の「七兵衛公園」に辿り着きます。園内には七兵衛の供養塔が建てられています。また、そこから程近い中央図書館の裏手には、「七兵衛地蔵尊」が建てられています。この辺は七兵衛の持畑だったそうです。この地蔵尊には、足腰の病いや旅道中の交通安全、足が速くなるといったご利益があるとされています。青梅マラソンのランナーが完走を祈願しに訪れることも多いとのことです。

 一方、処刑後に葬られた臨済宗宗建寺の七兵衛の墓には、足首を負傷した往年の大横綱北の湖関を始め、現在もスポーツ関係者などが墓参りに訪れます。



アートの街「青梅宿」

 JR青梅駅前を通る青梅街道沿いは、江戸時代から青梅宿として栄え、江戸城の改修に使われた成木石灰を始め、青梅傘、青梅縞などを求める江戸商人などで大変賑わいました。

 現在、軒を連ねる歴史ある商店街には、なつかしい名作映画の看板がずらりと並び、ノスタルジックな街並みを演出しています。毎年11月に開催される「青梅宿アートフェスティバル」には多くの観光客が訪れ、ひとときのタイムスリップが楽しめます。

七兵衛街道

裏宿へと続く「七兵衛街道」
裏通りなので人通りはまばら


「七兵衛公園」の供養塔

七兵衛の屋敷跡につくられた「七兵衛公園」の供養塔


七兵衛地蔵尊

七兵衛地蔵尊
下校途中の小学生が「足が速くなりますように」とお参り


七兵衛の墓

臨済宗宗建寺にある七兵衛の墓


「昭和レトロ商品博物館」と「青梅赤塚不二夫会館」

青梅宿の中心にある「昭和レトロ商品博物館」と「青梅赤塚不二夫会館」(写真左奥)


活劇映画看板ギャラリー

活劇映画看板ギャラリー


名作映画の看板

青梅街道沿いを彩る名作映画の看板