五日市街道は、古くは「伊奈みち」と呼ばれていました。「伊奈」とは五日市のすぐ東側に位置した宿場町で、定期市なども開かれ、近隣の村々の中心的な役割を果たしていました。また、近くの山々には「伊奈石」という石材が埋もれており、これに目をつけた多くの石切職人(石工)が伊奈へと移住して腕を競い合いました。なかでも、伊奈の石臼「伊奈臼」は軽くて挽きやすいと評判だったということです。
天正18(1590)年の徳川氏の関東入国後、江戸城修築の土木工事に伊奈の石工たちが徴用されました。この石工たちが頻繁に江戸へと行き来した道筋が、自然に「伊奈みち」と呼ばれるようになりました。これが五日市街道の始まりとされています。
しかし、江戸城の修築工事が終わると、街道は周辺の村の農産物や特産物を江戸へと運ぶ重要な輸送路として発展していきます。特に木炭需要の増加は、炭の産地である檜原村に近い五日市宿の急成長を促し、それまで伊奈宿で開かれていた炭市も五日市宿で開かれるようになりました。こうして伊奈宿と五日市宿の力関係が次第に逆転し、街道もいつしか「五日市道」と呼ばれるようになっていったのです。
伊奈石が採れた横沢の山並みと秋川
歴史ある石材店が点在する(旧五日市街道)
「伊奈新宿」バス停付近