玉川上水は、天王橋の下流400m程の所で残堀川と立体交差しています。残堀川は玉川上水と交差する唯一の川で、かつては、「狭山池助水」として上水に合流していました。しかし、明治時代になって川が汚れてきたため改修工事が行われ、現在は残堀川の下を上水が潜っています。当時、残堀川は「すなの川」とも呼ばれ、「砂川」の地名はここから付けられたとも言われています。
そこからさらに約700m下流、見影橋手前右岸に源五右衛門分水口はあります。この分水は、当地の名主砂川源五右衛門の屋敷内にある水車を動かすために引かれました。砂川家は砂川新田(後の砂川村)の開発名主で、江戸時代後半から上水の見まわり役を続けていました。源五右衛門分水のように個人屋敷への引水が許された例は大変珍しく、他には田村家(福生市)の田村分水があるのみです。
手前の残堀川の下を玉川上水1が潜っている立体交差地点
源五右衛門分水口(手前左)